法然上人伝全集 303P 法然上人行状絵図 勅伝

No. 詳細情報
a01 法然上人行状畫圖 第四十七
a02 西山の善惠房證空は、入道加賀權守親季朝臣割注法名證玄割注の子なり。久我の内府割注通親公割注の猶子として、生
a03 年十四歳の時、元服せしめむとせられけるに、童子さらにうへなはす。父母あやしみて、一條堀川
a04 の橋占をとひけるに、一人の僧、眞觀淸淨親、廣大智惠觀、悲觀及慈觀、常願常瞻仰ととなへて、
a05 東より西へゆくありけり。宿善のうちにもよをすなりけりとて、出家をゆるさんとするとき、師範
a06 の沙汰のありけるをききて、童子のいはく、法然上人の弟子とならむと、これによりて、建久元年
a07 上人の室に入、やがて出家せさせられて、解脱房と號す。ただし笠置の解脱上人と同名なるにより
a08 て、これをあらためて善惠房とつけられき。その性俊逸にして、一遍見聞するに、通達せずといふ
a09 事なし。上人にしたがひたてまつりて、淨土の法門を稟承する事、首尾廿三年割注自十四歳至卅六歳割注なり。稽古に
a10 心をいれて、善導の觀經の疏を、あけくれ見られける程に、三部まで見やぶられたりけるとぞ、申傳侍
a11
a12 第一圖
a13 このひじりの意巧にて人の心得やすからむために、自力根性の人にむかひては、白木の念佛とい
a14 ふ事をつねに申されけり。その言にいはく、自力の人は、念佛をいろどるなり。或は大乘のさと