頁 | 第19巻 170P | 華頂誌要 華頂山編 |
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No. | 詳細情報 |
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a01 | 四月七日久米の南條稻岡の庄に降誕したまへり。幼 |
a02 | 名を勢至丸といふ。 |
a03 | 父時國常に本姓に慢する心ありて、當庄の預所源内 |
a04 | 定明の執務に從はさりしかは、定明之を怨み、保延 |
a05 | 七年の春、夜陰に乘して時國を襲ひ、深傷を被らし |
a06 | む。勢至丸時に九歳、小矢を放ちて定明の眉間を傷 |
a07 | く。定明之に由り其發覺せん事を恐れて奔竄す。時 |
a08 | 人小兒の勇を嘆して小矢兒と稱す。時國終に臨み遺 |
a09 | 命して曰はく。「汝更に敵を怨むことなかれ。皆是前 |
a10 | 世の宿業なり。若遺恨を結ひて仇を復せは、其報世 |
a11 | 世に盡きがたし。如かす早く出家して我菩提を吊ひ |
a12 | 自の解脱を求めんには」と勢至丸命に服して同國菩 |
a13 | 提寺に到り、叔父觀覺に事ふ。觀覺經書を授くるに、 |
a14 | 聞く所の事憶持して更に忘るることなし。 |
a15 | 久安三年二月![]() ![]() |
a16 | 谷持寶房源光の許に送る。狀に云はく。「進上大聖文 |
a17 | 殊像一體」と。蓋し小童の俊秀を諷するなり。源光 |
b01 | 其非凡を察し、當時の名匠功德院皇圓阿闍梨に薦む。 |
b02 | 四月其門に入り、十一月剃染受戒す。![]() ![]() |
b03 | の春より天台の三大部を講究し、三年にして業を卒 |
b04 | ふ。惠解天縱殆んど師授に超えたり。阿闍梨感歎し |
b05 | て、益學業を勵み、圓宗の棟梁たるべしと勸奬する |
b06 | や切なり。然れとも當時滿山の大衆、多くは加持祈 |
b07 | 禱を事として顯榮利祿に耽り、眞摯に佛道を求むる |
b08 | もの尠く、甚しきは干戈を弄して世の騷擾を釀すも |
b09 | のなきにあらず。大師深く之を厭ひ、久安六年九月 |
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b11 | の室に投し、幼稚の昔より成人の今に至るまて、父 |
b12 | の遺言忘れかたくして隱遁の志深きよしを述ふ。叡 |
b13 | 空隨喜して法然房源空と名く。黑谷は叡山の別所に |
b14 | して、閑靜比なく、和漢の聖敎報恩藏に滿てり。叡 |
b15 | 空上人は大原良忍の徒にして、圓頓菩薩戒の正統を |
b16 | 繼き、又頗る眞言密乘の達者なり。 |
b17 | 大師此に於て戒密二敎を究め、幾ならすして血脉を |